現場での感覚を大切にしながら 具体的に発信することで、物事は広がっていく
投稿日:2016年07月07日

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被災地の1日は長さが違う

熊本地震で被災した方たちのために行ったテント村設営の背景には、ネパール大震災で経験した被災地の支援活動があります。
ぼく自身ネパールで震災を体験し、崩壊した家屋を目の当たりにしたのですが、日本と違って避難所はないし、テントなんてもちろん誰も持ってもいない。
みんな壊れた家にブルーシートを張って暮らしているという状況。その上標高4,000メートルの高地で雨季が始まり、家の中にまで水が入ると、寝るところなんてないし、
とにかく寒いし、夜はやたら長く感じるし。
被災地の1日とぼくらが普段暮らしている1日は、長さが全く違うんです。被災地では、今日1日をどうクリアするか、毎日がとにかく精いっぱいで、すごく長いんです。
そんな状況下にいる彼らを見ていた時に、せめて夜くらいは少しでも安心して眠れないと、人間って頑張れないんだと感じました。
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             盲導犬クロスと野口さん

雪山で一晩を過ごす怖さ

昔ヒマラヤ登頂後、下山する際に最終キャンプが見つからず、途中でビバーク(天候不順などからその場で一晩過ごすこと)した時に、まさに一日の長さの違いを体験したことがあります。
雪山でのビバークは、寒さとの闘い以上にとにかく朝が来るまで動けないという、メンタルが極限状態に陥る辛さ。時間が経ったかなと思って、時計を見るとたった10分しか経っていない。
またしばらく目を閉じて、そろそろ朝かなと思って、時計を見るとやっぱり10分しか経っていない。まるでこの状態が永遠に続くかのように感じて、どんどん精神が追いつめられていく。
そんな自分自身の体験と被災した彼らの生活が重なって、「そうだ。テントがあれば」と思い、早速ネパールにテントを届けることにしました。
もちろん、彼らの家は壊れたままですが、でも手足を伸ばして眠れる場所があるというだけで、少しずつ皆の表情も変わっていったんです。そういうネパールでの活動経験から、
今回の熊本地震で車中泊している方のニュースを見て、テント設営を思いつきました。
こんな風に今までのいろんな活動で得た経験が、また次の活動につながっているような気がします。
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みんな何かの役に立ちたいと思っている

一人でできることって限界がありますよね。でもツイッターやフェイスブックは、活用の仕方によって本当に便利です。今回の熊本についても、「テントを届けよう」と夜中に決めて、すぐにツイッターでつぶやいたんです。
すると物事がどんどん動き出すんですよね。一人であれこれ悩んで考えるよりも、まずはSNSでつぶやいた方が。
結果的に、ぼくのツイッターを総社市長が見たことで、益城町にテント村設営が実現できたんです。
こんな風に総社市との連携がないと、この活動はできなかったと思います。
もちろん行政の協力だけではありません。一時はうちの事務所がテントだらけになるほど、日本中からテントや寝袋がたくさん届きました。
そんな風にきっとみんな、何か役に立てることがしたいと思っているんです。でもどこでどうしたらいいのかわからない。
そんな時「今こんな状況です!」「こういうモノが足りないんです!」など現場が具体的な情報や写真を発信すると、各自それぞれができることの中から力を貸してくれる。
そういう意味でも、現場の声をすぐに発信できるSNSは本当に便利です。

行動を起こすまで葛藤に揺れた3日間

実は、今回のテント村設営の行動を起こすまで、3日間悩んだんですよ。去年から続いているヒマラヤ大震災の支援活動もまだまだやらないといけないことがたくさんあるし、またネパールの被災地へ足を運ぶたびに、いろんな悲しみと向き合うことにもなり、非常に精神的にくらってしまうんです。東日本大震災後に、原発の20キロ圏内に入った時もそうでした。餓死した牛や豚たちの悲惨な姿を目の当たりにして、本当にしばらく精神的にくらっていました。だから、今回は正直、やらない言い訳を探していたんですよ。
「去年ネパールで、いろんな悲しみとたくさん向き合ってきたから」とか、「今回の熊本は、ぼくじゃなくてもいいよね?」とか。

そんな時に、ネパールで熊本地震のニュースを知ったシェルパたち(シェルパ:ネパールに住む少数民族。高山に強いことから、エベレスト登山のポーター役を担うことが多い。)からメールが来たんです。「去年は日本の皆さんに助けてもらったから、今度はぼくたちが支援する番です。少ないけど5万円寄付します」という内容で。5万円って彼らにとっては、月収に値する金額ですからね。その時にぱっと思いだしたのが、「恩返しができない人は、人間ではない」というぼくのお爺さんの言葉だったんです。それですぐに行動に移しました。3日間悩んだ時間を取り返すように、その後の行動は早かったですね。

現場に足を運ばないとわからないこと

ネパールもそうだったし、今回の熊本もそうですがとにかく現場に行かないと見えてこないことがあります。被災した人たちが必要な物は、状況に応じて日々変わってくるんです。例えば寝袋を持っていってみたけど、気候的に熊本のテント村ではあまり必要なかったとか。また年配の方にとっては、寝袋よりも布団の方が好まれるなど。そんな風に、東京にいるだけではわからないことがいっぱいあります。そういう意味でも現場での感覚は、すごく必要だと思います。

きみの遊びのために、お金を出さないと言われた学生時代

19歳の頃、「エベレストに登りたい!でもそのためにはお金が必要だ!」ということで、スポンサーのお願いをしにいろんな会社を回りました。スポンサー探しには計画書という書類が必要だということは聞いていたので、「じゃあ、エベレストに行きたいという情熱をたっぷり書けばいいだろう」と思い、自分の夢をつづった計画書を持って。もちろん実績もない19歳の若造なんか、全く誰も相手にしてくれない。
そんな中、ある大企業の方がぼくの計画書を見て、「この計画書には、君の夢しか書いていないじゃないか」と怒ったんです。「我々は毎日会社の利益のために必死で働いているのに、なんできみのお遊びのために、会社がお金を出さないといけないんだ」って。最初は意味がよくわからなかったのですが、よくよく考えてみると、「確かに。その通りだ。企業にとってなんのメリットも生まれないことにお金を出すわけはないんだ」って、はっと気づかされたんです。もちろん、すごく気持ちはへこみましたが、でも大の大人が赤の他人のぼくに対して、適当にあしらって済むことを、本気で怒ってくれたんですよ。そこまで怒ってくれた言葉の裏には「きみの夢を応援することで、サポートする側にはどんな意味が生まれるかなどのストーリーを持ってこないと、誰も相手にしてくれないぞ」というメッセージが込められているんだと、わかったんです。だって、それまでぼくは、相手の企業のことを調べもせずに、どこの会社にも同じ計画書を見せていただけですから。

その頃はホームページもないので、早速秋葉原を一日中歩きまわって、冒険に関連する時計やカメラなどを調べました。そうして実際に足を運んで調べてみると、当時冒険に力を入れている時計ブランドがSEIKOだとわかったんです。そこで登山の際にSEIKOの時計を実際に使用して、自分なりに感じたことや改良点をまとめてSEIKOに持っていったところ、ぼくの話に乗ってくれて、「野口健モデル」という腕時計を作ろうということになり、結果的にスポンサーになっていただけたんです。
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どうやってアポローチすれば周囲を巻き込めるか

富士山清掃活動の時もそうでした。いわゆるゴミ拾いですから、最初の数年間は参加者も少なかったですね。そこでどうしたら多くの方がこの活動に関心を持っていただけるかと考えていた時に、ちょうどバラエティー番組の出演依頼があり、ダメ元でディレクターに富士山清掃活動を番組内で紹介してくれないかと交渉してみたんです。そしたら、ディレクターもこの提案に乗ってくれまして、タレントの方たちはもちろんガチャピンやムックまでもが樹海で清掃活動する映像が流れると、子供たちをはじめ今までとは違う層の方たちが毎年活動に参加してくれるようになったんです。

これもあの時の企業回りの経験があったからこそ、どういうアプローチをすると、社会がぼくの夢に共感してくれるのか、一緒に夢を持ってくれるかをあらゆる角度で考える力がついたのだと思います。
そういう風に周囲を巻き込まないと、一人だけでゴミを拾っても活動はなかなか広がりませんから。
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富士山清掃活動

異文化というボーダーを超えたシェルパとの信頼関係

高校時代に読んだ冒険家の植村直己さんの本の中で、地球最北端の地に住む部族・イヌイットから信頼を得るために、彼らと一緒にアザラシの生肉を食べた体験が語られています。その話が非常に印象的で、ぼくもシェルパたちから受け入れてもらえるように、彼らが日常に飲むミルクティーを飲んだんですよ。ミルクティーといっても、紅茶の中に塩と強烈な臭いのチーズを入れた、例えるなら胃液で作ったような味の飲み物なんですよ。(笑)それでも何とか我慢して飲みほして、「うまい」と言ったら、「お前は他の外国人と違う」と言って、どんどん飲まされてね。もちろんこっそりトイレで全部吐きましたよ。(笑)でもこんな風に相手の文化を受け入れることで、彼らとの距離が縮まり、今では家族同然です。19歳の時に一緒に山に登ったシェルパと何十年経った今でも一緒に登っていますから。ヒマラヤという厳しい環境下で一緒に行動するには、やっぱり最後にはこういう人間関係が大切なんですね。

日本大使に掃除をお願いする

ネパールではゴミを拾うことは、カースト制度の中においては身分が低い人の仕事なんです。なので、エベレストの清掃活動をネパールで記者会見した時に、地元の新聞記者から「あなたはカーストが低い身分なんですか?」と質問されたくらいですから。そこで、ネパールの日本大使とお会いする機会があった時に、大使に日本大使館の前を掃除してもらえませんか?とお願いしたんです。もちろん最初、大使は「え??」ってびっくりしていましたけど(笑)、ぼくの思いを理解して実行してくれました。そしたら大使がほうきを持って掃除している姿が、地元で大きなニュースになったんですよ。だって日本の代表にあたる大使ですからね。

でもそうすると少しづつですが、あれだけ最初はエベレストの清掃活動を嫌がっていたシェルパたちの意識が変わってきて、今では自らゴミを拾うようになりました。まるでゴミセンサーがついているかのように、すぐにゴミを見つけるんです。(笑)こんな風にシェルパたちが積極的にゴミを拾っていると、外国人の隊員たちはさすがにゴミを捨てられなくなっていく。
清掃活動を開始した当初は、彼らも仕事としてしぶしぶやっていたのが、今ではネパールのシンボルであるエベレストを綺麗にすることで、ここから自分の国を変えたいという意識に変わったんですよね。

こういうお話をすると「戦略的に考えているのですか?」と時々聞かれますが、全く考えていないです。(笑)結果的に多くの方が参加していって、それがどんどん広がっていったということだけです。
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エベレスト清掃登山

柔軟な気持ちがボランティア活動には大切

ボランティア活動をしていて難しいなと思うことは、あまりにも自分の思いが強すぎると現場とうまくいかなくなってしまうことです。「これはよくない」とか「こうあるべきだ」という押しつけではなく、最終的に自分の思いが伝わればいいなという柔軟な気持ちでいるように心がけています。

サクラとナナは、ぼくの心の同志

学生時代には、京都の介助犬団体で生まれたラブラドールのサクラと近所で拾った子猫ナナと一緒に山岳部の寮で暮らしていました。エベレスト登頂に失敗して落ち込んだ時とか、物事がうまくいかない時にこの子たちがぼくを支えてくれたんですよ。ぼくにとってはまさに「心の同志」です。

動物と暮らすと必ず別れがあることはわかっていても、やはりサクラやナナたちを亡くした時は、非常に悲しかったです。ただそれと同時に命のありがたみを感じました。
一昨年、ナナが亡くなった時、娘が今までのナナへの感謝の思いを手紙に書いたんです。その手紙は、ナナと一緒に土に埋めました。
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サクラとナナ

動物との別れで知る命の大切さ

動物のいない暮らしが寂しくて、すぐにでもペットショップに行こうとするぼくに対して、娘からこう言われました。「ペットショップではなく、保健所にいる猫がいい」と。動物との別れを体験することで、娘も命の大切さを学んだんでしょうね。そしてたまたま、新聞でナナにそっくりの子猫の里親募集を見つけて、早速会いにいったんですよ。そしたらナナに似ている猫以外に同じ保健所からずっと一緒だったという他の2匹の子猫もいて、もうこの3匹があまりにも仲がいいから、結局全員引き取ってしまいました。(笑)今は、この3匹に癒されています。
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左からチョモ、リリコ、ナナオ

介助犬を見て重ねた自分とシェルパとの信頼関係

ラブラドールのサクラを京都の介助犬育成団体から引き取る時に、何度かそこに足を運んだんですよね。その時、介助犬の訓練の様子など見ていて、ぼくとシェルパとの信頼関係に近いなって思いました。エベレスト登山には絶対シェルパのサポートがないと登れないし、逆にネパール大地震のように彼らが困った時はぼくが責任をもって彼らをサポートする。こんな風にお互いの信頼関係が何よりも大切なところは、なんかどこか似ているなって思いました。
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野口さんの書籍を音声ソフトで愛読している盲導犬ユーザーの須貝さんと盲導犬クロス。

インタビューを終えて~編集後記

取材日は熊本大地震発生から約2週間後でした。連日、熊本でテント設営活動を行う野口さんの姿がニュースでも取り上げられていたので、さぞお疲れだろうと思いながら、野口さんの事務所を盲導犬ユーザーの須貝さんと訪問しました。しかし全く疲れた様子を微塵も感じさせないほど、素敵な笑顔で私たちを笑顔で出迎えてくれた野口さん。そしてハーネスをはずした盲導犬クロスの顔を覗き込みながら、何かを思い出すかのように愛おしそうに撫でながら、ぽろっと出た言葉。「久しぶりだな~。この感覚」。そう、学生時代に一緒に暮らしていたラブラドールのサクラを思いだしていたんです。野口さんのインタスグラムには、頻繁に海外で出会った動物の写真が登場します。「あ~、本当に生きている者全てが好きなんだろうな」と思っていた印象の通り、途方に暮れた人の心にそっと自然に寄り添う温かさをもった人でした。(インタビュー:セツサチアキ)

Profile

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登山家。1973年、米国ボストン生まれ。99年にエベレスト登頂に成功し、7大陸最高峰世界最年少登頂記録(当時)を樹立。エベレストや富士山のゴミを拾う「清掃登山」など、環境問題の取り組みをはじめ、2015年「ヒマラヤ大震災基金」、2016年「「熊本地震テントプロジェクト」を立ち上げる。ヒマラヤに寄せる想いが詰め込まれた写真集「ヒマラヤに捧ぐ」(集英社インターナショナル)が只今好評発売中。
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      写真集「ヒマラヤに捧ぐ」
そんな野口健さんから、補助犬サポーターの皆さまへメッセージを頂きました!

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