為末大さんから、盲導犬応援メッセージを頂きました!
アスリートが、意思を持って競技に挑むということ
日本のスポーツ界は、比較的「ルールには全員従うもの」という傾向にありますが、僕自身はどちらかというと「やりたいように自由にやる」という性格なので、現役時代はコーチもつけず、1人で練習し、1人で海外にも行っていました。そんな中、海外の選手を見ていると、1人のアスリートがひとつの意思を持っていることに気付いたんですね。
例えば、「私はLGBT(同性愛者や性同一性障害者など性的少数派)の応援を自分の意思とし、競技を行いながらその活動を広めるんだ」と言っている選手がいたり、あるいは難民支援活動をしている選手がいたり。そういう風に、「この目的のために、私は強くなる」と明確に宣言している選手を僕自身も含めて、日本では見たことがなかったんですね。応援している人へ感謝の気持ちを還元する選手は日本にいますが、選手として強くなって、有名になることで得た社会への影響力をどう使っていいのかわからないアスリートが多いように見えたのです。
でもせっかくなら、自分が願う社会に向けてその影響力を使ったほうがいいなと、僕は思うようになりました。そこで僕自身が理想とする社会ってなんだろうと、社会の課題について自分なりに考えてみたんです。
社会のバランスを変えるだけで、幸福度はあがる
今の日本社会って、あらためて見つめていると、社会が分断されていたり、ハイアラーキー(上下階層関係に整序されたピラミッド型の組織)が固定されていたりして、僕自身とても嫌だったんですね。いわれなき自由を奪われているような感じがして。
ちょっと全体のバランスを変えるだけで、世の中全員にとって最高のサービスまではいかなくても、全体の幸福度がものすごく高くなるのに。なんだか社会のバランスが悪いなって、思ったんです。
僕は自分の人生観の中で、人間が機械のようにではなく、それぞれが自由に自分らしく動き、それによって摩擦が起きたとしても、社会全体で寛容に受け止めていくほうがいいだろうなって思ったんです。それならば、そんな社会作りに向かって、僕はどう動いていったらいいのかを考えました。
僕が館長を務める「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」(2016年オープン)もその考えによって生まれた物のひとつです。ここでは、障がいの有無や年齢など関係なく、誰でも走れる施設でもあり、競技用義足を開発するラボも併設されています。
僕が目指したい社会、つまり誰もが自分らしく生きられる社会に、もし名前を付けるとしたら「寛容な社会」になりますね。
2020年東京パラリンピックのトライアスロン競技の強化選手である盲導犬ユーザー中澤さんと盲導犬デネブ。為末さんに「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」を案内していただきました。
義足使用が禁止だった日本の競技施設
数年前まで日本の陸上競技場は、義足を使って走ってはいけないというルールがあったのですが、それも施設に傷をつけてはいけないという、昔の施設運営ルールに書かれているからという理由だけのようなんですよね。
でも義足使用へのルールを新しく変えるだけで、実はものすごく幸福度が高くなる人がいるはず。ルール変更の為にコストをかけましょうかという話ではなく、ほんのちょっと規則文章を一部変えたり、思いこみを外すだけで、幸せになる人が生まれるのです。そんな風に僕は、社会全体をかっちり作っていくというよりも、患部をマッサージしながら「まあまあ、いいじゃないですか(笑)」っていう役割でいたいと思っていますね。
オリンピック選手とパラリンピック選手を分断させているのは、思い込みという枠
海外では、オリンピック選手もパラリンピック選手も同じ練習チームに所属しているんです。だから、パラリンピック選手に「障がいを持って苦労したことは、何ですか?」とインタビューしても、日常動作で出来ないことについての話はできても、社会システムへの不満についてはコメントしにくいんですよ。少なくとも、スポーツ社会においては、障がいということについて意識をしたことがなかったと、彼らは言っていましたね。
それに対して、日本の場合は全く逆で、本来はスポーツ選手という大きな概念に基づいているのに、オリンピック選手とパラリンピック選手は、明確にカテゴリー分けされています。もっと上から見ると、どちらもたいして違いはないのに、思い込みによる細かい分断が、両選手の間に存在しています。そこが海外との大きな違いです。
もちろんそういう僕自身も以前は、障がいに対して偏見を持っていたので、人間の思い込みの枠は、実体験によっていつでも簡単に外すことができると思います。
見て馴染むことで、おのずとわかるサポート方法
「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」では、子ども達を対象にしたかけっこスクールの隣で、義足の選手が練習をしています。また四肢に障がいがある人をはじめ、視覚や聴覚に障がいがある人も利用しています。
最初のうちは、障がいがあるということで、互いにコミュニケーション方法がわからず、ぎくしゃくした感じがあったのですが、3回位経つと慣れてきちゃって、コミュニケーション方法も自然と皆わかってくるんですね。車椅子の選手に聴覚障がいの選手が、「車椅子って大変ですね」って言うと、「あなたも耳が聞こえなくて大変でしょう(笑)」という会話を横で聞いていると、結局「慣れ」なんだなって思いました。
慣れていくと何をサポートすればいいのかが、おのずとわかってくるんですね。しかもサポート方法を理解し、協力することって、実はそんなに難しいことでもなんでもない。だから子どもの頃から、そういう風景を見て馴染むことが必要です。日本において、「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」は小さな場所ですが、局所的でも、そういう風景をここで作れたらいいなと思っています。
弁当箱に入るおかずではなく、おかずが入る弁当箱の形を考える
日本が抱える大きな問題は、きれいなマニュアルとルールを先に作り、そこにあわない事を排除する点だと思います。マニュアルとルールを利用者に合わせて作っていくと、手間がかかってしまうのでしょうね。
でも僕が思う寛容な社会というのは、まさに後者なのです。「この弁当箱に入るおかずを作ってください」ではなく、「このおかずが入る弁当箱の形を考えましょう」みたいな考え方で、「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」を運営していきたいと思っています。
まだ利用はありませんが、もし盲導犬ユーザーがこの施設に来た時は、盲導犬が待機しやすいスペース作りを考えようとか、そういう感じでやっていきたいですね。
子供の時に犬と暮らしたことがあると話してくれた為末さん。
盲導犬受け入れの風景に見慣れると、流れは変わる
公共の場において盲導犬受け入れの理解につながる道のひとつは、やはり先ほど言った「慣れ」だと思います。日本人は目の前の人たちの総合意見をおもんばかって、物事を決定する傾向があります。
先ほどの弁当箱の話とは矛盾してしまいますが、西洋の場合「うちの店のコンセプトは、これです」というものがドーンとあって、それに共感できる人はどうぞ来てくださいという流れがあるのに対して、日本は、お客様を見て店のコンセプトが決まっていく。それって実は、単純に無知なだけじゃないかと、そんな気がします。
皆が盲導犬受け入れについて知識を身につけ、意識が変わり、盲導犬同伴で来店がする風景が当たり前となり、その風景に慣れた瞬間に、流れが変わっていく。そう、まさにドミノが倒れるかのように。そうすると今度は、もし盲導犬の受け入れを断った店があった場合、今まで見慣れた風景とは逆のことが起きたということで、「あの店、盲導犬同伴を断ったらしいよ」という風が吹く。
その為には、やっぱり「風景」を作って、見せていくことが大切だと思いますし、多くの人に盲導犬受け入れの活動を発信してもらうことが必要だと思います。
日本の競技場のアンチテーゼを目指したい
「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」においても同じで、ここは日本の既存の競技場にとって、アンチテーゼになる存在にしたいと思っています。
例えば、殆どの競技施設は飲食禁止なのですが、50メートルを走った先でBBQをしたり、ビールが飲めたりしたら、なんか楽しそうじゃないですか(笑)。義足の人もそうじゃない人も一緒に、走って食べて飲んで。そういう今まで見たことない風景を一度作ると、「なんだ、結構いけるじゃん」って皆が感じてくれるのじゃないかと思っています。
そういう意味においても「風景を作る」ということは、重要なことではないでしょうかね。
お手伝いの声かけについて考える
道を歩いていて、知らない人に声をかけること自体、抵抗感がある風潮なので、盲導犬ユーザーにお手伝いの声かけをついためらってしまうのではないかと思います。もうちょっと相手の心へ気軽に立ち入るコミュニケーション力みたいな風景が作れたらいいのではないでしょうか。
現在2020年に向かって、多様性とかおもてなしがよく取り上げられていますが、そこまでの大きなコンセプトよりも、例えば「みんなが毎日ひとこと、知らない人に挨拶する」という運動が始まれば、それだけで無数の数になりますよね。もしその中で、実際に会話が弾む率が全体の20%だったとしても、それ自体すごい量だし、その中で相手の気持ちを理解し共感し、想像力を働かせることで、大きなインパクトが生まれると思います。
こんな風に人間同士が、場面場面でコミュニケーション力を高める方法が生まれたら、無知も改善されるし、社会がいい方向に向かうのではないでしょうかね。
お手伝いの気持ちのエネルギーを向ける出口作り
人間ってちょうどいい着地点が見つかると、そこに向かってバーっと集まってくる気がしますね。お手伝いの声かけに関してのエネルギーが多くの人々の心の中にあって、もし誰かがそのエネルギーを向ける出口を作ってあげれば、きっとそこに皆の気持ちが向かっていくのではないでしょうか。
そういう意味でも盲導犬ユーザーに缶バッジをプレゼントする盲導犬応援プロジェクトは、ひとつの出口になったのでしょう。この缶バッジも、もっと簡単に付けたりはずしたりできたらいいですね。だってお手伝いの必要がない時もあるかもしれないじゃないですか。「盲導犬ユーザーは、いつも必ず困っている」という一連のレッテルを社会は貼ってしまいがちにあるので、そういう意味でもやっぱりコミュニケーション能力を皆が高めれば、所作だけで相手の気持ちを読み取れるようになりますね。
社会のデコボコをならしていく
最初にお話したように、社会のアンバランスなデコボコしたところを上手にならしていくと、世の中はいい方向に向かうと思います。テクノロジーの発展という方向についつい社会は引っ張られがちですが、寛容な社会に向かってテクノロジーが発展したほうが、僕はいいと思います。
その中で僕自身は、技術者でもないし、走ることももうできないけど、寛容な社会に向けてメッセージを発信するというメディア的な役割を担っていこうと思います。
プロフィール
1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2017年3月現在)。
現在は、スポーツに関する事業を請け負う株式会社侍を経営している。主な著作に「走る哲学」、「諦める力」など。
為末大さんのHPはこちら。
インタビューを終えて取材後記
スポーツ番組や情報番組で頻繁に「寛容な社会」という言葉を発していた為末さん。この言葉の先にあるものが何なのか、一度お話をお伺いしたく、取材をお願いしました。
約1時間にわたるインタビュー終了後、私を含め同行したスタッフの岩間も盲導犬ユーザーの中澤さんも、為末さんの非常にシンプルでオリジナリティーに溢れる発想に深く感銘しました。そのくらい、為末さんの言葉には、借り物ではない、唯一無二の哲学が存在していました。
もうひとつ印象的だったことは、帰り際に私たちに仰った一言。
「盲導犬についてまだまだ勉強不足の点があり、失礼しました」。
知らないということを謙虚に認める方だからこそ、常に何かを学ぶ姿勢を持っているんだと、感じました。
取材:デザイナー セツサチアキ